木村 仁 ブログ(携帯版)


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イネイト的?エデュケーショナル?

2007/6/23(土)
中国の人たちの間では日常会話の中で「気」という言葉が頻繁にさりげなく雰囲気的に使われます。
それが日本に入ってくると私たちは「気」とは何か特殊なものという概念を作りあげ構えてしまうところがあります。
要するに彼らは目に見える、目に見えないにかかわらず何らかの働きがあるものをすべて「気」という表現を用いていると考えます。・・・
「この店の料理はイネイト的にはそんなに悪くないと思う」
「彼は考え方がガチガチでエデュケーションブレイン(教育脳)100パーセント」
「イネイトとエデュケーションの融合が上手く行くと良いのだが」
など私たち銀座のスタッフとの会話でイネイト的、エデュケーション的なる言葉がさりげなく頻繁に出てきます。
これも特に明確に定義して使っている言葉ではなく雰囲気的というか、なんとなくフィーリングで使っています。
本来イネイトというのは直訳すると先天的な、エデュケーショナルというのは教育的なということです。
そこから拡大していろんな場面でこれらの言葉を雰囲気的に使っています。
例えば「現在午後3時ちょうどになりました」という言葉に反応して
ある人はデジタル的に15:00という風にイメージします。
ある人は時計の長針が真上(真北)に短針が右に直角(真東)になっているという風にアナログ的にイメージします。
この場合デジタル的なイメージをする人をエデュケーショナル、エデュケーション的な人と表現しています。
アナログ的なイメージをする人をイネイト的な人と表現しています。
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